ケープタウン(南アフリカ)〜ヨハネスブルグ(南アフリカ)〜カイロ(エジプト)


移動日:2003年4月29日
手段:飛行機(Nationwide Airlines&エジプト航空)
料金:税込み1090ランド(ケープタウン〜ヨハネスブルグ)
     税込み3804ランド(ヨハネスブルグ〜イスタンブール、カイロ経由)

当初はアテネ経由イスタンブール行きのチケットを手配したのだが、こっちのほうが若干安かったし、エジプトでストップオーバーできるというので変更。南アフリカ発のフライトは安いと聞いていたが、最近はそんなことはないらしく、結構なお値段。チケットは「Flight Centre」という旅行代理店にて購入。Webサイトでは格安航空券の値段が出ているので参考になる。ケープタウンの空港までは宿からのピックアップ・バスで110ランド。ヨハネスブルグで乗り継ぎとなったが、ヨハネスブルグ国際空港の免税店はかなり充実していてびっくりした。ヨハネスブルグからカイロへ向かう途中、ジンバブエのハラレにいったん止まる。エジプト航空は噂通り酒類のサービスはいっさいなし。


 
カイロ(エジプト)〜ルクソール(エジプト)


移動日:2003年5月2日
手段:夜行列車、1等(寝台ではない)
料金:45Eポンド

カイロを午後10時に出発し、ルクソール到着が午前7時半到着という夜行列車。エジプトの列車は豪華仕様の特別列車を除いて、寝台列車はなく、すべて座席のみ。ちなみに特別列車はカイロ〜ルクソール間が50USドルと、この国の物価を考えるととても高い。学生割引が使えたため(学生ではないけれど、カイロではなんの証明書もなく国際学生証が作れちゃうのだ。表記の料金は学生割引後のもの)、車中1泊ということもあって、1等を選んだ。座席は飛行機のビジネスクラスのようにゆったりとして立派な造り。ただし夜行のため景色は楽しめない。帰路はルクソールを午後9時10分発、カイロ到着が朝の6時半過ぎ。列車にはきちんと時刻表があり、この国にしては驚異的なぐらい? 正確に運行している。


 
カイロ(エジプト)〜アレキサンドリア(エジプト)


移動日:2003年5月7日
手段:列車、2等
料金:21Eポンド

午後2時にカイロを出発し、午後4時過ぎにアレキサンドリアに到着。途中駅には止まらず、アレキサンドリアに直行する特急列車。2等でもシートはしっかりしていてまったく問題なし。飲み物やお菓子などの車内販売もあり。日中の移動だったため、エジプトの田舎町の風景が楽しめた。アレキサンドリア行きは1時間おきぐらいに頻繁にあり、チケットはすんなりと買えた。帰路はアレキサンドリアを午後3時に出発し、カイロ到着が午後5時過ぎ。こちらも時刻表どおり。


 
カイロ(エジプト)〜イスタンブール(トルコ)


移動日:2003年5月11日
手段:エジプト航空

南アフリカで買ったチケットを使用。当初カイロ発が5月9日の予定でブッキングしていたが、エジプト航空のオフィスに行って日にちを変更してもらった。日にち変更の手数料は無料。約2時間という短いフライトだが、機内食はきちんと出た。あいかわらず酒類はなしだったが。イスタンブールの空港は想像以上にきれいで立派。空港内にシティバンクのATMあり。空港から市内まではHAVASという会社のバスにて(ひとり6,000,000Tリラ)、アクサライ下車。


 
イスタンブール(トルコ)〜カッパドキア(トルコ)


移動日:2003年5月16日
手段:バス(Nevtur社)
料金:32,000,000Tリラ

スルタンアフメット地区の旅行代理店でスルタンアフメットからギョレメまでのチケットをお願いした。イスタンブールはツーリストエリアからオトガル(バスターミナル)が離れているため、チケットは代理店でお願いしたほうがラクだし、わざわざオトガルに行って自分で手配しても値段は大差がないとのこと。午後7時にその旅行代理店をセルビス(ミニバス)で出発し、午後8時半過ぎにオトガル(バスターミナル)に到着、そのまま速攻で大型バスに乗り換えた。バスの車内ではトイレくさい香水とちょっとしたお菓子、それに飲み物のサービスがあり。移動のバスで「サービス」という姿勢に触れるのが久々だったため、ちょっぴりウレシイ。カッパドキアに到着したのは午前7時ぐらいだったが、到着したところがネヴェシェヒールだったため、またミニバスに乗り換え、ギョレメ到着は午前8時過ぎ。ネヴェシェヒールからギョレメまでのミニバスは一般の乗客も乗せていたが、私たちはもちろん無料。夜行バスはシートもデラックスで「いよいよヨーロッパだわ」という感じ。ただし真後ろのガキがギャーギャー騒いだため(怒)、ふたりともいまいち寝付けなかったが。


 
カッパドキア(トルコ)〜アンカラ(トルコ)〜サフランボル(トルコ)


移動日:2003年5月20日
手段:バスを2台乗り継ぎ
料金:20,000,000Tリラ(アンカラまで)+12,000,000Tリラ(サフランボルまで)

カッパドキアのギョレメをセルビス(ミニバス)で午前8時15分に出発し、ネヴェシェヒールのオトガルに到着したのが午前9時半過ぎ。そのまま大型バスに乗り換えて、アンカラ着が午後1時半過ぎ。アンカラのオトガル(バスターミナル)は飛行場のように巨大かつ近代的な建物でビビった。そのまま午後3時発のサフランボル行きのバスに乗り込み、サフランボル着が午後6時半過ぎ。ちなみにアンカラ〜サフランボル行きのバスは混雑しているらしく、午後1時半に到着したときは午後2時のチケットは売り切れ、午後3時のものもギリギリ取れたという感じだった。バスに乗っているのはほとんどがビジネスマン風の男性ひとり客ばかり。明らかに観光客なのは私たちだけだった。みんな何しにサフランボル行くんだ?と思っていたら、どうやらサフランボル近郊の製鉄所関係のお仕事の方が多いみたい。車内はシーンと静まりかえっていて、これまでの路線と明らかに雰囲気が違った。また車内サービスの男性が蝶ネクタイをしめたボーイ姿で、髪の毛もちょりっと刈り上げで、なんだかゴージャスな感じ。やっぱりトイレくさい香水とお菓子と飲み物をサービスしてくれた。


 
サフランボル(トルコ)〜イスタンブール(トルコ)


移動日:2003年5月22日
手段:バス(Metro社)
料金:20,000,000Tリラ

サフランボルを午後12時半に出発、イスタンブール着が午後6時半。バスはトルコ国内で最大手のMetro社のもので移動も快適そのもの。ここもやっぱりトイレくさい香水とお菓子とドリンクのサービスがあり。たいしたことではないんだけど、ちょっとでもサービスされるとやっぱりウレシクなってしまうものですね。イスタンブール市内に入るととたんに道が渋滞し始めたため、アジア側のオトガル「ハレム」で途中下車した。そこからフェリーに乗り換えてエミノニュまで約20分。「地球の歩き方」によるとアジア側ハレムのオトガルからヨーロッパ側に入るまで、ヒドイときは2時間以上もかかるらしいので、ここで降りたのは正解だったかも。フェリーでヨーロッパ側に入るのもオツなもので、アジア横断をしてきて初めてイスタンブールに入る方にはぜひハレムで下車することをオススメする。


 
イスタンブール(トルコ)〜ソフィア(ブルガリア)


移動日:2003年5月24日
手段:バス(Metro社)
料金:30,000,000Tリラ

こちらもトルコ最大手のMetro社のバスで。スルタンアフメット地区の旅行代理店で申し込み。午後7時頃にスルタンアフメット地区をセルビスで出発し、午後8時過ぎにオトガルに到着。ここで大型バスに乗り換えて午後8時半に出発。途中、2回ほど休憩を挟み、深夜12時過ぎにトルコ側の国境に到着。こことブルガリアの国境はなんだか要領が悪く、しかもわざわざDUTY FREEショップまであってそこで買い物する客を待ったりして、結局ブルガリア国境で入国手続きまで終わったのが深夜2時過ぎ。深夜、寒い中で2時間も待ったりバスに乗ったり……というのはハッキリ言ってかなり苦痛だった。しかもブルガリアのソフィアに到着したのは午前6時半過ぎ。まだなんだか街が眠っている(笑)。その後も宿を探して歩いたりなんだりかんだりして、宿に入って荷物を下ろしたときにはふたりともぐったり。久々になんだかツライ移動だった。


 
ソフィア(ブルガリア)〜テッサロニキ(ギリシャ)


移動日:2003年5月27日
手段:夜行国際列車
料金:28レバ(2等座席)

ソフィアを夜の11時に出発し、テッサロニキに早朝7時頃に到着した夜行列車。2等座席といういちばん安い席だったが、車内はガラガラ。6人コンパートメントに私たちふたりだけだったので、ゴロンと横になってぐっすりと寝ることができた。ただし深夜の2時頃に国境を通過したために熟睡中にパスポート・チェックがあった。あまりの眠さにほとんど記憶がない(笑)が、出国、入国審査ともパスポートをチロリと見せただけ。


 
テッサロニキ(ギリシャ)〜アテネ(ギリシャ)


移動日:2003年5月28日
手段:列車
料金:14.1ユーロ(2等座席)

テッサロニキに早朝に到着し、そのままその日のうちにアテネに行く列車を調べたところ、午後の出発だという。時間があったので荷物を預かり所に置き、のんびりとテッサロニキ市内を観光してから乗り込んだ。車内は6人コンパートメントだったが、ほぼ満席。バカンスで遊びに行くような、若者の集団が多かった。途中海岸線を走ったり、田園の真ん中を突っ切ったり、なかなか景色がいい。夕方にはアテネに到着。


 
アテネ(ギリシャ)〜ミコノス(ギリシャ)


移動日:2003年5月31日
手段:船
料金:13.3ユーロ(デッキ・クラス)

憧れのエーゲ海へ向かう船はもちろん最低ランクのデッキ・クラスで(笑)。しかも前日に旅行代理店で買ったチケットはなぜか知っている情報より格安で、行く前から「実はミコノス行きとか言って、東南アジアに売られたらどうしよう」なんて(笑)無意味な心配をする。早朝アテネから地下鉄でピレウス港に向かい、ずらりと並んだ豪華客船風フェリーを見て「さすがエーゲ海」と感心するも、私たちのフェリーはずっと奥にポツンと寂しそうに佇んでいた小型のフェリー。「だから安かったのね」と納得したが、移動するぶんにはなんの問題もなし。しかもデッキクラスっていうから外のデッキしかいちゃいけないんだと思って、風がびゅうびゅう吹くデッキで毛布にくるまりながら寝こけていたら、どうやら室内のスペースにも入っていいそうな。しかし、ほかの乗客がみんな「おしゃれヴァカンス」な雰囲気が漂っているのに、私たちだけ難民ボートに乗っている人みたいなのはナゼなのでしょうか。自分たちの持ち物がヨーロッパでは見劣りするものだということに気づいた瞬間。午前9時にピレウス港を出発し、ふたつほど別の島に寄って午後1時にはミコノスに到着した。


 
ミコノス(ギリシャ)〜アンドロス(ギリシャ)


移動日:2003年6月4日
手段:船
料金:8.4ユーロ(デッキ・クラス)

ミコノスからフェリー一本で行けて、しかもあんまり人がいなそうなところ……という基準で見事選ばれたアンドロス島。ミコノス島からフェリーで約2時間。船内は観光客というより地元の人が多く、なんだか和やかな雰囲気。ソファで寝こけているうちに、あっという間に到着。しかし船の移動は気持ちよいですな……と思っていると、隣でダンナが真っ青な顔をしている(笑)。エーゲ海の船はこの時期だとほとんど揺れないが、それでも苦手な人には苦手なものかもなあ。


 
アンドロス(ギリシャ)〜アテネ(ギリシャ)


移動日:2003年6月6日
手段:船
料金:8.5ユーロ(デッキ・クラス)

アンドロス島からアテネへは、来たときのピレウス港とは反対の位置にあるラフィーナ港に到着するもののみ。まあ違う港を見られるのもいいねえ、というわけで船に乗り込む。このところ船の移動続きで、船好きの私としてはゴキゲン。アンドロス島を午前11時に出発し、ラフィーナ港に着いたのは約2時間半後。ただしこの船はイレギュラーな船で、通常は午後6時半発のものが多いらしい。アテネの港に近づくにつれて海がどんどん汚れていくのはちょっと悲しかった。ちなみにラフィーナ港からアテネの中心地までは、港のすぐ脇から出発するバスで1時間半ほど。


 
アテネ(ギリシャ)〜パトラ(ギリシャ)


移動日:2003年6月8日
手段:バス
料金:12.8ユーロ

午前11時にアテネのオモニア広場を市バスで出発し、約30分ほどでキフィスウ・バスターミナルに到着。ちなみにこの市バス、乗車前にチケットを購入しなければならないのだが、慌てて乗車したためにチケットを持っていなかったらタダにしてくれた。というか、ギリシャのバスは意外とユルく、「チケットを持っていないの……」とオロオロしているとたいていはタダにしてくれる(笑)。なので料金はキフィスウ・バスターミナルからパトラまで。キフィスウ・バスターミナルを正午12時に出発し、午後3時過ぎにはパトラのバスターミナルに到着した。パトラのバスターミナルはフェリー乗り場の目の前で便利。


 
パトラ(ギリシャ)〜ブリンディシ(イタリア)


移動日:2003年6月8日
手段:船
料金:24ユーロ(デッキ・クラス)+港税6ユーロ

午後3時過ぎにパトラのバスターミナルに到着して、「フェリーはどこだ……?」と色々な人に聞きながら彷徨って(またいろんな人がいろんなことを言うし、しかもそれが間違っていたりするんだ……笑)、とうとうお目当てのフェリー会社に辿り着いたときには、フェリーはあと30分で出発するという! 前日にアテネの旅行会社で聞いたときは「フェリーは夜の8時よ」と言っていたのに……、しかも当日は日曜日でそのフェリーを逃すと明日の夜までないと知って、ダッシュでチケットを購入し、ダッシュでフェリーポートまで走った走った。しかもフェリーポートは思いのほか広いし、バックパックは思いのほか重いし、汗ダクダクでフェリーに辿りついたというのに、出港が一時間も遅れやがった(怒)……の割には予定どおり、翌朝8時にはイタリアのブリンディシに到着。ちなみに30ユーロはいちばん下のデッキクラス。キャビン(客室)をとるには最低60ユーロからと聞いて、速攻パス。船自体はガラガラだったが、船のいちばん奥にあるデッキクラス用のスペースには貧乏そうな旅行者が(笑)、ゴロゴロと転がっていた。ちゃんと飛行機の座席のようなシートがあったが、みんな床の絨毯部分に横になって寝ていた。もちろん私も寝袋を持ち出して暴睡。なんだかんだいってよく眠れた。


 
ブリンディシ(イタリア)〜ナポリ(イタリア)


移動日:2003年6月9日
手段:列車(ユーロスター2等)
料金:32.48ユーロ

ブリンティシのフェリポートに到着し、そのまま駅に直行。ナポリ行きはお昼の12時過ぎだというのでしばし不毛な時間を過ごした。できればインターシティ(急行列車)で行きたかったが、インターシティだと乗り継ぎに時間がかかるということで断念。初のユーロスターはほとんど遅れることなく到着し、しかも日本の新幹線のようなピカピカっぷりに、「ああイタリアってホント先進国なのね」としばし感慨にふける。途中、カセッテでローカル線に乗り換えし、午後5時半にナポリに到着。ちなみにフェリーに乗っていた貧乏そうな旅行者のほとんどがナポリの同じ宿を目指していて、しかも私がいちばん最初に向かったユースに到着したら、「あら、あなたフェリーで会ったわね」というメンツばっかりなのでちょっと笑えた。


 
ナポリ(イタリア)〜ローマ(イタリア)


移動日:2003年6月12日
手段:列車(インターシティ2等)
料金:16.53ユーロ

ナポリをのんびりと散歩して、午後2時過ぎにナポリを出発。イタリアの列車は遅れると聞いていたが、さほど遅れることもなく午後4時過ぎにローマに到着。チケットもすんなり買えたし、なんだか構えていたほど苦労することはなかった。車内は6人用のコンパートメントになっていて、さして混んでいなかったのでいたって快適。コンパートメントではラ・スペッツァ在住のおじさんと息子と一緒になり、英語はまったく話せないふたりと、イタリア語をまったく話せない私とで、なぜか2時間近くベラベラと話していた。意外といけるもんだ(笑)。おじさんに向かい合っている椅子がリクライニングすることを教えてもらい、ちょっと感激。息子もカワイクて、なんだかほのぼのした時を過ごした。

 
ローマ(イタリア)〜リオマッジョーレ(イタリア)


移動日:2003年6月14日
手段:列車(インターシティ2等+ローカル線)
料金:27.68ユーロ

できれば早朝に出発したいと思っていたのだが、やっぱり寝過ごして(泣)、午前9時45分発のインターシティに乗り込む。まずはローマからラ・スペッツエへ。けっこう距離があるせいか、意外にも時間がかかり、4時間後の午後2時45分にラ・スペッツエに到着した。ラ・スペッツエで私が目指すチンクエテッレ行きのローカル線に乗り込み、5分ほどでかろうじて宿がありそうなリオマッジョーレに到着。ちなみにチンクエテッレとは「5つの村」という意味で、海岸線に沿って並ぶ、5つの小さな村の総称。このローカル線は湾岸沿いの絶壁に沿って走っていて、見晴らしがいい。やっぱりこれもタダ乗り(笑)、というかイタリアのバスやローカル線はあんまり検札に来ない。面倒くさがりのイタリア人だからか(笑)。

 
リオマッジョーレ(イタリア)〜ピサ(イタリア)


移動日:2003年6月16日
手段:列車(ユーロスター2等)
料金:7.05ユーロ

早朝にローカル線でリオマッジョーレからラ・スペッツアに移動。もちろん例によって例のごとくローカル線は無賃乗車。つうかイタリアのローカル線乗っている人のすべてがチケットなんて買ってないんじゃないか? との疑問を抱いてしまうが(笑)。ラ・スペッツアからピサまでは1時間ほどの距離。本当はローカル線やらインターシティに乗りたかったが、時間が合わず、ユーロスターに。といっても1時間ほどの距離だから3ユーロぐらいの差だから、「まあ、いっか」。寝こけている間にあっという間に到着。というか、危うく寝過ごしそうになって、転げ落ちるように列車を降りた。

 
ピサ(イタリア)〜フィレンツェ(イタリア)


移動日:2003年6月17日
手段:列車
料金:4.85ユーロ

ピサのお祭りでは大騒ぎし、結局朝方まではしゃいでいたために、早朝出発は断念。ピサに住む日本人の学生の子と連れ立って、午後1時ごろにフィレンツェに向かう。列車はローカル線で1時間ぐらい。フィレンツェに近づくにつれてオレンジ色のレンガの屋根を持った家々が建ち並び、なんだかいい雰囲気。


 
フィレンツェ(イタリア)〜ミラノ(イタリア)


移動日:2003年6月18日
手段:列車(ユーロスター2等)
料金:28.5ユーロ

朝のんびりとユースを出発して駅に着いたら、次のインターシティまで結構時間がある。「うーん」と悩んだ結果、ユーロスターで行くことに。つうか時刻表、必要だな。なんだか結構損をしている気がしてきた。列車はいままでの路線と違い、ほぼ満席。イタリアは北と南でなんだか列車に乗っている人の雰囲気まで違うなあと実感する。あと、初めてチケットの自動販売機を使ったが、座席も選べるし、便利だな〜さすが先進国だな〜と思った。車両のいちばんうしろのひとり座席にこ汚いバックパックをドカっと置き、悠々と移動。ちなみに隣に座っていた「私ってばイタリアン・キャリアウーマン!」って感じの人がおもむろにパソコンを取り出して映画を見だしたので、私も対抗して(笑)、パソコンを取り出してこれを書いております。つうか見栄っぱりだな、私も(笑)。でもこういうことができるのはさすが先進国。誰も人が集まってこないもん。


 
ミラノ(イタリア)〜ベネチア(イタリア)


移動日:2003年6月20日
手段:列車(ユーロスター2等)
料金:20.66ユーロ

前日に調べたところ、インターシティとユーロスターの差がふたりあわせても3ユーロほど、しかもユーロスターだと出発までに1時間ほど多く寝られるため(大事なことね)、ユーロスターを利用。ミラノを朝の8時55分に出発し、べネチアに着いたのが約3時間後。しかし、ユーロスターってのはおハイソですな。日本の新幹線となんら変わらない車内で、人がすまして座ってる。噂に聞くほどイタリアの列車は遅れないし。つうか「テクニカル・プロブレムのため少々止まります」とのアナウンスがあり、「いよいよキタ〜!」と思っていたら、意外にあっさりと10分ほどで出発しちゃうし。「17分遅れてしまい、申し訳ありませんでした」とのアナウンスには、思わず拍手してしまいそうだった。つうか17分なんて遅れのうちに入らないぞ〜と思うのは、私の感覚がおかしいのかしら(笑)。イタリアってホント先進国ですね。前の席には最新のゲームボーイ・アドバンス・スペシャルを平然とやる青年がいるし。ダンナも負けずにゲームボーイ・アドバンス(いまとなっては旧式)を取り出していたが、どう見ても負けていた(笑)。


 
ベネチア(イタリア)〜ボローニャ(イタリア)〜アンコナ(イタリア)


移動日:2003年6月21日
手段:列車
料金:17.4ユーロ

「なんとなく、もう出よっか」との気分で、のろのろとべネチアのキャンプ場を出発したのが午後11時半。つうか宿代の高いイタリアでこれは明らかに出遅れている。しかも目的地はクロアチアのドブロブニクと決まっているものの、そこまでのルートは未定。駅に行けばなんとかなるさ、と気楽な気持ちで出たものの、駅のインフォメーションではなんら有力な情報は得られなかった。つうかツーリスト・インフォメーションのくせに「それはここではわかりません。目的地で聞いてください」ってしゃあしゃあと言うな! そこまで行きたくないから聞いてるのに……。と失意のまま、陸路でクロアチアに入るか海路でクロアチアに入るかをしばし考えた結果、「フェリーのほうが本数が多そう」という理由で海路に。クロアチア行きの船が多く出発するアンコナを目指すことにした。アンコナへはボローニャで乗り換えて、計5時間強。すべて普通列車で行ったが、くそ暑い(もちろん車内にはエアコンなし)のを除けば、ほとんど遅れることもなかったし、料金もユーロスターなんかに比べて安いし、なかなかやるじゃんイタリア、という印象。午後2時過ぎの列車に乗って、午後7時半に到着。


 


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